「明るいうちに峠を越えベえと思ったけえど、ここで薄暗くなっちまった。軒下でもいいから泊めてもらうべえと思って戸をたたいだけえど、どの家も一見のもんじゃ泊めてくれねえや」「どうするべえ」
ちゅうで、途方にくれていたんだと。そうしたら、村のはずれに明かしがぽつんとあるんで行くとお堂があったので、「縁の下でもいいから泊めてもろうベえ」ちゅうで戸をたたいたら、優しげな婆さまが出て来て「それならこの先にごうぎな家があるから、誰も住んでねえだから行ってみらっさい」ちゅうで、ちょうちんまで貸してくれたんだと。
「やれよかった、ありがとうがんす」と、行ってみると間口十五間奥行五間のごうぎな家だ。ところがなかは入へろうと思っても、ガタピシタガタピシして戸が開かねえ。漸く開いたんで、ちょうちんを照らしてみたら蜘蛛の巣だらけ、ほこりがつもってる。けえど囲妒裏はごうぎだし、炉ぶちもいい板げだ。大黒柱も太えもんだ。
「夜露をしのげるだけでも有難てえ」ちゅうで、疲れもあってそこで寝ちまった。朝、起きたら雨がぺちゃペチャ降ってる。「急ぐ旅じゃねえ、しばらく世話になるベえ」」ちゅうでその周りを掃除をしたら、まるで長者さまの屋敷みとうにリっぱな家なんだと。
お堂の婆さまが来て「夕んベば、あっっちゃなかったかい」ちゅんで「ああ、でっけえ家でよく寝られた。空のあんばいが悪りいんで、もうちよっと居てもいいかい」と言ったら、びっくりして「へえ、この家に泊まったもんは、誰でも這いずりで出て行っちまうのになあ。そいじゃ、すきなだけ居ろ」ちゅんだと。
「有難てえ」ちゅんで居たら、川の氾濫だちゅうで村の男衆は、みな駆り出されて行くところだ。猫の手も借りてえちゅうで、婆さまに頼まれて、この旅の若い夫婦もんの父っあんも、村人の助っ人に出た。そしたら働きっぷりがいいんで、夜も見張りしてくれちゅうで、帰って来ねえ。おっ母さんの方が一人になっちまって夜なべに囲炉裏はたで、ぽろっとじをしていたんだと。そうしたら廊下の方で とんとんとんとん と子どもが飛び跳ねてる音がして、かわいいげな歌まで聞こえる
月 火 水 木 金 土 日曜日
山の風そよ吹けば山の神様三大師
けっくりかっくり 水曜日
もっくり金時
どっといしよ 日曜日
「へえ、誰だや、出てこう。おいおい、誰だ、出てこう」って呼んだと。しばらく音を立てていたが、そのうち居なくなっちまった。次の晩、また とんとんとんとん 家中を跳ね回って、歌うたってるげだ。「恥ずかしがらねえで、来いや。炒り豆あるで」ちゅうたら、すーと戸が開いて、かわいいげなケシ坊主の頭した男っ子が顔を出した。そしてまたすーと廊下に行ってしまって、いくら呼んでも入えって来ねえ。
その次の日、また音がしたんで「こっちは来う。今日はうんめえ団子こしゃえて待ってだぞ」ちゅうたら中は入えて来て、おっ母さんのまわりをとんとん跳ねてる。団子出したら食って、なわとびなんぞ持って遊んでるだ。「そいじゃ おっ母が歌ってやるべえ。
月 火 水 木 金 土 日曜日
山の風そよ吹けば 桜の山越えて
ぴいぴいひゃらひゃら三大師
それ入れ それ出ろ
すると嬉しがって遊んでいる。そのうち、おっ母さんのひざの上に上がって遊ぶようになったんだと。すると、ケシ坊主の男っ子が「おっ母あ、每日遊んでくれてうれしかった。おらあ、この大きな家に長いあいだずうと一人っきりでいただよ。人がこの家に来るには来るが、おらが出てゆくと、誰もが、出たあ!ちゅうで逃げて行っちもう。もうさびしくてさびしくてどうしょうなかった。けえどおっ母あが来てくれて、炒り豆してくれたり、だんご食わしてくれたり、歌歌って遊んでくれてよかった。あらあ、おきのでえの畳の下に居るだから、掘ってもたいてえ」ちゅうだと。
その翌日、お父っあんが帰って来たんでそのことを話すと「狐かたぬきに化やかされているんだっペ。まあいいや、退治してくれベえ」ちゅうで、言われたように掘ったら、そこからでっけえ金瓶が出て来て、なかからざくざく大判小判が出てきたんだと。
金瓶が、あんまり長いあいだ埋もれていたんで、「出してくれ」ってケシ坊主の座敷わらしの姿になって出てきたんだとさ。それで若い夫婦もんは、正直で働きもんだし、いい人だったので村の衆が、居てくれちゅうでいたら、すぐにケシ坊主の座敷わらしみたいなかわいい子が生まれて、末永く、村でとくせいに暮したんだと。
何代かあとの人が、その金瓶を八幡さまに祭って、今が今でも拝んでいるんだと。いつのまにかその話が村ん衆に伝わってこの八幡さまを拝むと宝くじが当るんだとさ。それが今の猿ヶ京宿生寿苑のご先祖さまなんだと。今でも生壽苑では八幡さまを祭っているだから、拝ましてもらうといいだよ。いちがさけた。